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これよ、これ!30数年前から聞きたかった音楽付きの車内放送(拍手~)この時代にやっと巡り会えました!up主さんありがとうございます☆
いつもご視聴いただきありがとうございます。お役に立てていただき、とてもうれしく思います。他にもヴァージョン違いがありますが、今年の後半にloadする予定です。
オイラのガキの頃の遊び場かな⁉️立石から自転車で行けたからね‼️
ガキの頃からの遊び場だからね‼️立石から自転車で行けたからね‼️
感動で震えが止まりません。幼少の頃、浅草の実家から祖母の家がある津田沼に行く時に何度も聞いて強烈な印象を得て、もはや幻、2度と聞く事は出来ないと諦めていた京成電車のBGM付き車内放送テープが聴けるとは・・。貴重な音源をアップしていただき本当にありがとうございます。バリエーションが多数なBGMも何曲かは聞き覚えがある曲です。◯◯駅はこの曲、というような固定されたものではなく、種別、系統によってランダムに使われていました(今でもハッキリ覚えていますが、検見川、お花茶屋で使われている曲は都営線から直通する急行の曳舟駅の案内に使われていました)。『戸口付近の方は〜』とか次駅案内後に流れるCMなど、亡き母と乗った幼少期の京成電車の思い出がよみがえりました。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。お役に立っているようで、とても嬉しく思います。京成のこの放送は他にもありますので、いずれまたロードできる日が来ると思います。路線バスの案内放送とは、これまた少々イメージが異なるのですが、今となっては無くなってしまった駅名も含まれていますので、当時を知る方には懐かしいものと思います。今では楽曲の商用利用にパテントが厳しくなりましたから、この当時のような曲をBGMにふんだんに使うというのはもう無理かもしれません。
(12:41) 以降の、急行成田行きのアナウンスですが、昭和43年11月10日ダイヤ改正以降昭和49年12月15日までの急行 (A) の停車パターンです。津田沼の次は八千代台、八千代台の次は佐倉で、佐倉から終点の成田までは、各駅に停車していました。これは、鉄道ピクトリアル 2007年 3月臨時増刊号 (特集 京成電鉄) に、昔の種別ごとの停車パターンが記載されていました。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。往時の情報を寄せていただける方に感謝申し上げます。対校には1968年に到る京成の日刊乗務(乗務員さんの系統)と日刊各駅停車(駅員さんの系統)にも引照を求められますので、より正確な内容は、沿線図書館などでさらにお調べいただくことは可能です。
昭和中~後期の自動車内放送、なんと画期的な試みだったのでしょう。音楽(ライブラリー・レーベル物が多い?)+女声アナウンスの組み合わせが素晴らしいですね。京成は昭和中期の特急車両にテレビを設置したり、オリエンタルランドの親会社であったりと、東急や阪急とも違う、画期的な一面があったと思います。
いつもご視聴いただきありがとうございます。鉄道会社の多くは事業も利用客も楽しく沿線で暮らすために、お互いに応答しながら個性のある展開をひろげていきますが、ことさら京成電鉄にあっては、おっしゃるように他社が真似したくなるプロジェクトが多くありますね。浮き沈みを経て、怯まずに知恵を絞ってきた軌跡の数々は、私たちの目の前で本当にその通りになった起死回生の証左だとおもいます。
立石から船橋ヘルスセンターに自転車で遊びに行ったけどね‼️
@@ひこくに-h8o 様すげえ!
通学時に聴いていた懐かしい車内放送がまさか聞けるとは❗感謝致します。みどり台の前と菅野の前に流れるメロディーは、今でも脳裏に焼き付いています。オリジナル曲がずっと気になっていて、40年くらい経ちます❗半ドンの土曜日の夏、扇風機しかない鈍行の青電(大和田行)にも、沿線コマーシャルとともに流れていました🎵勝田台ファミリーハイツの売り出し時から推測すると、1976年頃の録音と思われますね。沿線のお店の名前も懐かしいです。
いつもご視聴いただきましてありがとございます。そうですね、まだ学校に半ドンがある時代の出来事ですね。半ドンで扇風機で青電と三拍子そろうと昭和の京成ド真ん中で、おっしゃるように1970年代半ばの出来事です。もう、決して戻ってこない時代を、車内放送だけが伝えてくれています。
なつかしいです。車掌さんが8トラよりも大きいカセットを機械にいれて 駅に着くたびにボタンを押すと流れます。高砂の駅の階段下におじさんがいて 車掌さんに行き先のカセットを車掌さんにわたしてました。とっても懐かしい〜。
いつもご視聴いただきありがとうございます。たまたま、こうしたテープを生産する機械と再生機が手元にありましたので、再生を試みてみました。クラッチを変えると8トラへの録音再生もできる業務用の機械ですが、京成のリールが再生できる機械で、なぜか西日本鉄道の路線バスのテープも再生できてしまいます。アナログな時代の代物ですね。
荒川、葛飾、センター競馬場前、谷津遊園、国鉄千葉駅前意外と改名した駅も多いですね
いつもご視聴いただきありがとうございます。駅名の改名は、多くなるほど、昔が遠くなるようです。
懐かしいです。
荒川って今の八広、センター競馬場前は船橋競馬場、葛飾は西船ですね。
すべて34年前に変わっているね。
毎度ご視聴いただきありがとうございます。ロードしておきながら、ここ数年は眺めるだけで京成電車には乗っていません。ずいぶん変わりましたね。この動画作品はタイミングを見てニコ動に移動する予定です。
うわぁ〜!!話には聞いた事がありますがこういう感じだったんですね😊貴重な音源有難うございます✨😆👍
いつもご視聴ありがとうございます。昭和の終わりごろの、京成さんの壮大な実験だったように思います。時代的に早すぎたんですよね。
BGMつきの案内放送(しかも沿線店舗の広告放送)ってすごく画期的で、阪急バスでも案内放送に一時期案内放送にBGMを流しながらやっていましたけど、(OsakMetroは現在も広告放送付き)それ以前からこういう放送しているのは画期的なやり方ですね。今のドライなROM放送と違ってテープの放送は凄いと思います。この時代の京成電車は見た目は阪神電車の赤胴車と同じ塗装、振り分け式前面二灯ライトの取り付け方は関西では阪神電車・京阪電車と同じで、車体寸法や軌間も標準軌という共通点があって親近感があります。「何某から何某まで停まりません」「何某から何某まで各駅に停まります」という案内は関西では定番です。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。車内放送の自動化は戦後まもなく国鉄の急行で試みられたものの、うまくいかず、1970年代の初期に京成電車で実用化されたと言われていますが、それも定かではありません。車掌さんは楽になる反面、結局 合理化につながり、ポジションを脅かすことになってしまいました。在阪の民鉄は東日本のそれに比べてとても親切に案内が施されて、自動放送にも繊細に受け継がれていますね。阪神電車は山陽線や阪急線と競う地理にありますが、京成電車は競争相手がJR総武線だけで、あまり勝負にはなりません、一時代前の鋼製車の顔つきは親戚のようで、車体色もおっしゃるような赤胴車のコピーを思わせますから、ここはひとつ、スカイライナーみたいな近鉄乗り入れ特急専用車でもあれば趣味的には楽しいかもしれませんね。
私の職場に、京成の菅野あたりに住んでいた方がいまして、このテープのことを話したら、懐かしいと言っておりました。当時の駅名のことも知ってましたし、青電や赤電の話もされてました。
毎度ご視聴いただきありがとうございます。今の京成電車を見ていると、みんなライナー以外は銀色に色帯になってしまって、年齢一回り以上してしまうと、青電とか赤電とか、何のことだかわからない方も増えてきているのではないかと思います。青電が実際に現役だったころは、青電とは言いましたが、他方で赤電とはあまり言いませんでした。
懐かしいですね。テープの車内放送は1969(昭和44)の頃から始まったと思います。高校に通うようになり毎日通学で聞いていました。後半の急行成田行き(不定期急行=の角急)のテープは大久保から乗車していたので初めて聴きました。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。京成電車のテープ車内放送の起源はここにきて諸説ありまして、昭和30年代初頭1600系開運で佐倉~臼井間オープンリール方式という証言(冨士録音の録音原稿が出た)も出てきて、定説が変化してきましたが、通勤では都営5000系で実験という、よくわからなくなってきました。昭和50年代以後の収録は77種類あったそうです。
心地良い自動放送ですね。バスみたいに宣伝放送もあったんですね。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。実験的な試みだったと、のちの京成ラインにも書いてあったことがありますが、この会社はなんでもやるのが早かったんですね。まだ世の中が必要としていないことでも始めて、時代の趨勢が後から追いかけてきたりと。それがよいこともあるのですが、往時は自動放送にBGMが要るか要らないかで賛否が分かれていました。
京成の車内放送、生きているうちには聞けないと思っていたのですが、感涙です海神駅を使っていて、高架前の船橋駅S字カープから国鉄との交差へ向かって登っていく時に流れる自動放送のメロディーが子供の頃の思い出でした。日暮里が同じだったのは知りませんでした入場券が80円なので、スタンプラリーは昭和50年前半あたりでしょうか?私の記憶では昭和48年ごろは40円で、そこから50円、60円、80円、100円と初乗り運賃がどんどん上がっていったころでした。間違ってたらごめんなさい
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。今の時代、どこかでだれかしらが、埋もれていたものを掘り起こして並べてくれるものです。動画サイトも同様で、お暇なときに、あちこち巡っていればほかにもきっと、懐かしい発見があるかもしれません。切符の運賃の値段はその時代を測ることのできる数少ない物差しの一つです。よく覚えていてくださいました。京成電車はいまも依然として船橋が巨大な乗換駅ですね。メロディとセットで思い出を覚えていてくださる方が、ことのほか多くいらっしゃいます。
昭和40年代生まれの母親が、京成ではその昔BGM付きの放送が流れてた、と聞いて調べてみたことがありました。しかし、時代が時代なので音源は中々見つからず、見つかっても音質が悪く(これも仕方ないですが)聞いてもよくわからないような状態でした。こんなに鮮明な音質で聞けたのは初めてです。母親にも聴かせたいと思います。今では放送前後に音楽がかかる放送はよく聴きますが、BGMとして放送中も音楽が流れるものは後にも先にもこれ一つなのではという気がしています。画期的なのは確かですが、自動放送が当たり前になった現代ではちょっとうるさく聞こえてしまうかもしれませんね😅。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。昭和40年代にお生まれの方でしたら、ほぼこの車内放送をお聴きになっていたと思います。折り込まれている沿線のお店の多くも、いまはほとんど閉店してしまっていますが、京成電車が始めたこの試みは、後に多くの私鉄各社が取り入れていきました。
今のタイプの自動放送が良好するようになったのは、おそらく東急電鉄が9000系導入時に使用開始した自動放送が最初でしょう。それまでは、国鉄の東北新幹線などの優等種別ぐらいでしか、今のようなタイプの放送はなかったものと思われます。そういう意味ではパイオニアは東急電鉄ですね。
関東で〜電車と言って違和感ないのは京成だけですね。よくありましたね、テープ。素晴らしいです。この放送、ガキの頃うっすらと覚えているような、って感じです。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。京成電車は、"鉄道"の感触が湧かないんですね。高架化が遅く、大抵は踏切の目線で通過を見上げていたようなイメージですので、高速で飛ばすスカイライナーも、地平の踏切をガタガタやりながら見送ると、やっぱり、京成"電鉄"ではなくて京成"電車"のほうがしっくりきますね。車内テープも まるでバスみたいな広告混ぜてアナウンスしていますし、鉄道会社の体質なのでしょうか。
軌道法で産まれた会社ですからでしょう。そもそも京成電氣軌道でしたから。こないだ神戸遠征したとき、関西私鉄はみんな 〜電車で、なんか親しみが持てました。
因みにコンクリートの高架線を採用したのは実は関東私鉄で一番早いんですよね。すでに戦前に作ってます。上野本線は高架にしないと許可が下りなかったらしく、日暮里〜堀切菖蒲園の殆どを高架にしたそうです。
確かに、幼い頃に船橋に住んで京成を利用していましたが、両親もご近所も京成線を話題にする時は「京成電車」という表現を使っていて違和感ありませんでしたね。神戸に一時期赴任していた時、あちらはごく普通に「阪神電車」「阪急電車」と電車を付けて路線を表現していて、ああホントに京成は関西風味(京阪と重ねる方が多いようですが)なんだなと実感しました
谷津遊園や船橋ヘルスセンターには本当によく行きました。なつかしいな~
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。みなさんがおっしゃるのは、駅名に残る響き。船橋や習志野にTDLの礎石になったそんな娯楽施設があったことすら、知らない人が多くなる時代になりました。
テープ放送、懐かしすぎる!京成船橋~京成八幡間を通塾で利用していた小学生時代、いつも最後尾に乗って車掌室のテープデッキを見て「どこが始発?」をチェックしていた子供でした。「急行:津田沼→西馬込」みたいな出庫のレア運用まで用意されていて、驚いたこともありました。今なら人工音声で簡単にできることでも当時は声優さんが一つひとつ吹き込んで録音していたことを考えると手間がかかるものだったと思うんですが、こういうところに力を入れていたのが京成らしいなと思ったりしました。友人たちは「バスみたい」と少し小馬鹿にしていましたが…
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。京成電車に馴染みのない街から来ている人には、この車内放送は路線バスの延長のように聞こえたのかもしれません。けれども当時、通勤通学やお買い物でよく乗っていた人たちには降りる駅の音楽が聞こえると「あぁ、次だ」と反射ができていたようです。いまではTVのニュース番組でも、AI人工音声を使うようになりましたが、全線に渡ってアナログで制作したのは、前衛的な試みだったと思います。
本線特急以前聴いたが、千葉線テープ放送!!母と上野に行った時に国鉄千葉駅前からまで博物館動物園まで通しで普通車乗った懐かしい思い出よ😢しかし 2:17 勝田台ファミリーハイツが船橋ヘルスセンターの手によるものだったとは。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。千葉線の収録にも、急行・快速用というのがあります。機会がありましたら、整えてロードいたします。
この放送が聞いたかったんです...!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!おばあちゃんが前に谷津遊園でジェットコースターに二十回ほど連続で乗っていたと聞いて、自動放送はないのかと気になっていたんです!本当にこれを聞けて嬉しいですおばあちゃんに聞かせてみます
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。谷津遊園は、ディズニーランドの開業と引き換えになくなっていったような遊園地でしたが、鉄道駅から小さい子ども連れでも歩いて向かえて、広い駐車場もある、大きな施設でした。隣には船橋ヘルスセンターもありましたね。自動放送にある「センター競馬場駅(船橋競馬場)」の"センター"は、そのことですね。
京成電鉄では3500形が昭和の時代にテープによる放送と令和のタブレット端末による放送を導入していたことになりますね。
いつもご視聴いただきありがとうございます。確かにおっしゃる通りで、よくご研究されていて参考になります。お訪ねいただいたことを感謝いたします。
ちなみにこの放送ですが、青砥駅高架駅化の際、用地確保の為に線路を仮線に切替した工事の当時のものと思われます。その当時は上野発の急行は津田沼~佐倉間は八千代台のみしか止まらない(この当時は上野発と都営浅草線直通の急行の停車駅が変えてあり、上野発の急行は今の快速の停車駅に津田沼~佐倉間の八千代台以外通過、千住大橋通過と町屋、堀切菖蒲園、市川真間、谷津遊園停車があり、都営直通は津田沼以東は各駅停車)もので、この時期に船橋駅のドラッグストアライオン(現在は閉業)がオープンしています。
毎度ご視聴いただきありがとうございます。 京成電車さんは線路を上へ上げる工事は、青砥をスタートして紆余曲折、いまだに続いていますね。立石やお花茶屋や千住大橋あたりの踏切、高砂や津田沼の踏切あたりなどが高架になればパーフェクトなのかもしれません。この音源テープのリーラーには「S55つだぬま3組」とマジックで書かれたシールが貼ってありますので、まぁ、そのあたりの時代でしょうか。
@@qsht これは津田沼テープ置き場所有の3番の称号という意味で、おそらくテープ更新のために昭和55年に新調したという意味だと思います。実は、昔の8トラテープはテープ伸びや内部で絡まるなど、よく壊れたようで(同時期のバステープや初期の都電ワンマン車のテープが同じような破損をしていたようです)、このように更新されたものも多いと聞きます。ちなみにこのテープがBGM付きの最後期で、この後からは、BGM省略タイプになっています。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。これは、厳密に申しますと、カラオケやカーステレオ用に市販されていた8トラではなくコロクラッチが機械側に内装されているタイプの、交通系機器専用カセットで、どちらかというと4トラに分類されるものです。関東ではほかに、日立電鉄だけが採用していました。プロとエピが両端にあるので始めと終わりが双方向の磁気テープになっていて、同じ回転一定方向で巻き戻し不要のタイプです。たまたまわたしどもの手元にこの再生機械がありましたので、咥えさせたところ、録れた次第です。西鉄バスはみんなこれでした。ですから、8トラの市販汎用機には装填できません。リーラーのステッカーについては、わたしどもの別の動画作品に、現役の運転士さんたちからコメントが寄せられ、京成電車ではむかしから、運転士さんと車掌さんを、1組、2組・・とグループ分けしている(た)そうで、(たとえば高砂の1組とか、津田沼の3組、なんて感じで、)それでいくと、このテープは、津田沼の3組の乗務員さんの帯出となるわけです。ただ、置き場を組の番号で仕切るなら、たしかにおっしゃる通りですね。なお、このテープの初期の収録は、当時、隣の東武館(東武鉄道本社)の防音室を使って収めたそうです。いつも貴重な情報のご提供をいただき、ありがとうございます。
もうこの時期既に都電は27+32系統で荒川線になっていたんですね。それでもそこここで駅名が旧名称。更にバス並みのCM入りの車内放送。今でもこれらりのお店はあるのかしら。青電の塗色は以前は野暮ったくてきたなく見えたものですが、復刻版が走った時には妙にいい感じにとらえられました。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。都電は1972年の秋に現在の系統だけになりましたね。もっと残しておいてもよかった路線もいくつかあり、今も惜しまれます。車内放送の京成百貨店は今では茨城県の水戸だけですが、当時上野の駅前にもありました。そして青電は、詳しい方に言わせますと、あの復刻の色とも微妙に異なるそうで、色の記憶というのは意外とあてになりません、
この頃の急行は、今の特急に匹敵する速さの列車もあったのですな。90年代になると、津田沼以遠は各駅に停まってたような…
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。今はどうかわかりませんが、二代目のスカイライナーが走ったころまで、京成電車の走る速度というのは独特でして、種別≠性能≠リミッター≠ダイヤ…と、必ずしも想定通りではないことが多くありました。とくに通勤特急が出たころには、有料特急最優先だったため、しわ寄せはいつも各停にまわり、遅れの回復に挑んで大変な速度を出したこともあったそうです。
@@qsht 各停に青電を割り当ててたのは、ほんまにあかんと思いました。個人的には、全駅のホームをムリヤリでもいいから8両対応にすれば、運用は今以上に楽に組めそうな気がしました。また、チャンネル登録しました。
叔母が志津にいたので、従姉に遊んでもらいたくてよく泊まりに行きました千葉の家をベースに、谷津遊園、千葉線の海岸に連れて行ってもらいました黒砂駅で降りて行きましたが、確か次の駅が千葉海岸、今の駅名では海はずいぶん遠くなったようですね。青電が懐かしいなぁ
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。昭和30年代半ばあたりまで、千葉線は車窓から東京湾が見えましたね。京成稲毛駅の海側、浅間神社の先は、断崖で、その下には幕張から続く松林の遠浅の浜辺がありました。旅館や海の家も並び、走馬灯を眺めているような京成電車で行く楽しい千葉の海の思い出ですね。
すてきな景色だったんですねぇ千葉線は上記の1回のみで、しかも貝殻で足を切って帰路は伯母に背負われてたのでほとんど記憶がありません。残念本線は、津田沼を出ると原っぱの中をひたすら走るというような景色でした
金町線を幼稚園のときに使ってたんですが、八幡駅の曲と金町駅の曲が一緒だったはず。懐かしすぎて涙が出そうです😢
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。この動画作品では金町線の再生は割愛してしまいましたが、仰る通りで、八幡と金町(到着)はおんなじ曲で、この曲は、上野に京成百貨店があったころ、店内放送でも使われていました。
西船は葛飾だったんですね!😮
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。この駅を「葛飾」と呼ぶほうが、しっくりくる世代と、そうでない世代の境界が、昭和40年代半ば生まれあたりで、分かれるようです。
たまんないなあ❗️中学の頃を思いだしますなぁ、、昭和のおねーさんバリバリの声もないす😂葛飾、船橋、東中山をよく乗り降りしてました。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。後半のウグイスは。京成バスの案内テープにも吹き込んでいた方です。
ありがとうございます。あの時代の京成は音声テープ以外にも手書きの行先板、V 字鉄棒の駅ホームフェンス、旧駅名とうに
旧駅名等に国鉄に対するライバル意識や彼らの誇りを感じてたように思ってました。八幡や船橋の昔の駅前は今みたいなJRの属性的な雰囲気はなく地元の商店と一体化した別の街みたいな感じでした。歳をとったからとは思いますがどこに行っても同じ様な街並みを見るのは悲しい限りです。地上時代の京成船橋駅周辺のカオスが心底懐かしい、、、
所々でテープが流れた時代の前後の学童向けミニアニメ番組やコマーシャル、啓発映像辺りで使われていた音楽が使われているようですね干支が一回りもしない前の頃、知り合いの一部でそんな短いアニメが話題になった頃に聞いた音楽が所々紛れていて驚いております
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。まだ、パテントや著作権に国民が疎い時代のBGM入れ放題で、「これ聞いたことある!」旋律使い放題でも鉄道会社がシレッと済ませていられた最後のころの佳作営業用テープですね。
貴重なものをありがとうございます。上野京成百貨店2周年ということは、昭和49年ですかね。青砥駅のホームが別だから高砂で乗り換えろとか、町屋で都電の乗り換え案内をしないとか、久々に思い出しました。お店のコマーシャル入りアナウンスも懐かしいです。平成になって大江戸線で始まった時は、京成のパクリじゃん。って思ったものです。笑
いつもご視聴いただきありがとうございます。振り返ると、上野の京成百貨店が営業していた期間というのは、ことのほか短かったんですね。水戸の京成百貨店は今も元気に営業していますが。むかしは、千葉・土浦・大森・八幡などにもありました。いい時代でした。
素晴らしい…ありがとうございます今でも手に入るならスタンプを集めたいです京成大久保〜大和田、今はないちびっこランドがある宗吾参道のスタンプが欲しいです
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。ちびっ子ランドは車庫の山側にあった大きなプールでした。ここに収録されたスタンプは、ごくまれにですが、京成電鉄さんのイベントなどのとき、押されたものがコンプリートされて頒布(有料ですが)されているようです(台紙を伴うかは不明)。不確かな情報なので、日頃から京成電車のイベント情報を注意して見ているといいことがあるかもしれませんよ。
懐かしい
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
昔は開運号でした❗️荷と言う行商専門の列車も有りました❗️
いつもご視聴いただきありがとうございます。開運号は護摩電と並んで京成電車の看板列車でしたね。前面2枚窓の開運号の一部は 退役後にアルミ車体になってしばらく青電に挟まれて行商さんの乗る電車で活躍していました。正面に「荷」というサイドボードを挿していましたが、「あれは、荷物を運んでいるのではなく、荷物を担いだ人を専用に乗せているんですよ」と津田沼の乗務員の方に教わったことがあります。「荷」の画像もあったのですが、旅客向けの放送でしたので、この作品では割愛しました。
そうなんですよ‼️行商のオバサン達が実家の立石で昼食を家のおばあちゃんと漬かってましたけどね‼️御茶とお新香で🍙おむすびを食べたていたな‼️たまにオイラもご相伴に入ったけどね‼️
これは懐かしいですね。初めて京成に乗ったとき自動放送に仰天したものです。この放送はいつ頃のものでしょうか?貴重な資料ありがとうございます
いつもご視聴いただきありがとうございます。この音源を入手したのが昭和の終わりごろでしたが、いつも国鉄総武線を使っている時代にたまたま京成電車に乗って、当時は車内放送といえば男声が当たり前でしたから、とても新鮮に感じたものです。手元の資料(日刊乗務)に見える限りでは1977年ごろにはすでに用いられていたようです。
昔は荷物と言う一両編成の電車が有りました❗️行商のオバサン専用の電車でした❗️成田山の初詣に行ったけどね‼️だから開運号と言ってました❗️成田空港線が出来たのでスカイライナーになったけどね‼️オイラの遠足は成田山でした❗️谷津遊園地も遠足でした❗️
たしか、テープ放送は初代AE形が落成した頃(昭和48年)に一般車にも導入されたと思いました(現存する古いテープで上野京成百貨店の開店2周年という宣伝があり、京成百貨店は昭和45年開業なので、少なくとも昭和47〜48年頃の3500形新製車では導入されていた)。元々は1600形開運号がテープ放送の起源で、当時、東急でも最新型の初代5000系に導入する計画でしたが、機器の調整で実現されず、京成が自動放送第一号となったという経緯があります。
この放送は、上野京成百貨店が2周年ということから1974年の放送であると推測できます。成田空港への乗換案内がないのはそのためです。
いつもご視聴いただきありがとうございます。この音源は上り京成津田沼到着までと発車以後で、異なる音源を連結しています。千葉から津田沼までは押し込みリーラーに年月刻印があるのですが、津田沼以東のリールテープには変遷途中でリーラーを変えたと思われ、何も書かれていません。したがいまして、今回のような情報をお寄せいただいたことは、研究されている方には貴重な証左になると思います。情報のご提供に感謝申し上げます。
国鉄千葉駅前なんて、懐かしいな・・・
いつもご視聴いただきありがとうございます。あたまに"国鉄"って響きが付くと、往時を知っている世代には、発車ベルの音とか改札の鋏のリズムとか甦ってきますね。
@@qsht ですね。あと、昔の「京成千葉駅」が現在の「千葉中央駅」になっていたことは、最初知りませんでした。
昨年35年振りに自動放送がクリアな音声で復活した。
いつもご視聴いただきありがとうございます。自動放送の進む鉄道会社がある一方で、東海道新幹線では車掌さんが英語肉声で放送されてますね。
懐かしいのではあるけれど、労組が車掌の車内放送の手間を無くせみたいなことでテープ放送という苦肉の策だったような。ただ都営車や京急車では車掌が放送してましたが。
いつもご視聴いただきありがとうございます。車掌さんの手間を無くしていくと、ワンマンバスやローカル私鉄のようなドライバーだけになりますけど、都市部の大手私鉄だと、それこそ列車防護のときなどは車掌さんいてくれると頼もしいですね。この京成電車のテープも、駅間距離が短い区間では、押し忘れをすると、駅に到着しているのに「つぎわ~」とか流れてたりして使い物にならなくなったそうです。
この時代の京成車のマイクは壁に固定されていたので、都営線内では車掌さんが放送しにくそうでした。前後衝動で歯をぶつけないようにするのが大変だったとか。
JR千葉駅が総武本線と外房線との分時点に移設してきたのはのは画期的だと思いますよ
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。「千葉駅の移転は、京成電車と国鉄の"計画的偶然"が作用して、場所が決まって、いまのようになった,」 と、当時の千葉日報に記事があります。おっしゃるように、画期的だなことだったんですね。それと、余計なことですが、外房線(房総東線)の起点は蘇我駅で終点が安房鴨川駅、内房線(房総西線)の起点が千葉駅で終点が安房鴨川駅になっていますから、位置は「総武本線と内房線との分岐点」となりますね。このことは、わたくしどもも、最近知りました。
この動画を見ての感想は、この放送の仕様で、現在のタブレット放送を作り直してほしいと強く感じたことです。たしか、現在の京成の放送はメトロのお姉さんこと久野知美さんですから、この仕様のようなアナウンスで、BGMは往時の雰囲気の出るもので、もう一度作っていただきたい。久野さんなら、何でも企画チャレンジする京成グループなら、現在の放送をアレンジできるはず。
いつもご視聴いただきありがとうございます。おっしゃる通りですね。昔のクロスシート車の試験運用ように、試しに数本 "レトロ放送列車" みたいな企画をやってくれると楽しく乗れますね。(クロスシート車運用当時のチラシはニコ動にupした京成CMソングのカラオケ部分に表裏両面入れてあります。)
久野さんじゃなくて森谷さんです
このBGM付きメロディ、よくよく考えたら系列のリゾートラインで引き継がれてるなw
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。よく気が付かれましたね。京阪電車でも、同じような試みをしていた時期がありまして、そちらは、「京阪ひらかたパーク」と八幡山ケーブルでテンポを変えて引き継がれておりました。どこも考えることは同じのようです。
船橋ヘルスセンターはバンドででてたよ‼️大滝滑りののすぐ側でね🎵
いつもご視聴いただきありがとうございます船橋ヘルスセンターの大滝すべりは、遠くからでも眺められました。よい時代でした。
急行すら勝田台通過だったのに驚き
この当時は東葉高速線がなかったもんね
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。東葉線が開業接続する直前まで、勝田台駅前で、どなたかヤギが飼われていました。
昔の自動放送ですね。今は、タブレット端末放送です。
いつもご視聴いただきありがとうございます。 ほかにもいろいろ線区別にあるのですが、埋もれさせておくのも勿体ない音源なのでロードしてみました。のんびりした時代でした。
自動放送が復活して良かったです
いつもご視聴いただきありがとうございます。どの鉄道会社も、放送の自動化はバスは先行していたのですから、もっと早くできただろうと思います。京成電車は意外とこうした面では前衛的な鉄道会社ですね。
急行のアナウンスは、サザエさんでお馴染みの加藤みどりさんですかね?
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。ほかのサイトでもみなさんそうおっしゃるのですが、確かに言われてみればそのようなに聞こえるます。加藤みどりさんはスーパーの案内放送吹き込んだこともある方なので、年齢的にも合致するのですが、テープのリーラーには何にもその辺が書かれていないのです。京急バスのテープは、加藤さんご自身がTBSラジオで仰っていたので、そうなのでしょうが、京成のこのテープの後年吹き込みなので、情報ありましたらお寄せください。
10:19 ハブられる都電
いつもご視聴いただきありがとうございます。 気づく方は気づくのですが、この車内放送当時の時代というのは、どうも軌道を走る路面電車が蔑まれていたようで、同じようなことが新今宮の阪堺電軌に対してもあったようです。京成電車も、もとは京成電気軌道だったんですけどね。
@@qsht その割にスタンプには堂々と出ているので社内でも扱いが分かれてたんでしょうね
毎度ご視聴いただきありがとうございます。 おっしゃるような原因もあるかもしれません。この作品をloadするのに先立って、古い京成の社員の方と考証していたのですが、①録音した後で抜け落ちていることに気が付いた ②路線バスくらいにしか認識していなかった ③王子・大塚の国鉄線と早稲田の営団東西線でも今のように都電まで乗換案内を及ばせていなかった時代なので、それに倣った のいずれかでしょう, という見解です。③を根拠とするのが濃厚です。スタンプチケットは、観光目的の企画ですから、都電 = 観光 で考えると、含めるのもわからなくありませんが、一方で、荒川線のほうでは京成電車乗り換えを放送しており、当時のテープも現存しています。 推理すると楽しめます。
東急もアオガエルで自動放送やっていたような.......。どちらが早いのでしょうか?
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。京成電車のトラクト「京成ライン」には、このテープ放送について「大手私鉄では初の試みとなる・・」と宣伝されていますが、相模鉄道や東京モノレールでも自動放送の実験運用していた時期がありまして、いまとなっては、どちらとも言えませんが、東急はだんまりで、これについてはあまり資料がないようです。5000系ゃ5200系の先頭車が中間に入ってしまうと行き来できなくなるので、もっと早い時期から試みていたかもしれません。
これやろうと思えば音声切り抜いて今でも使えんじゃね
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。何年か前のイベントのときに、何人かのお客さんの一部が、タブレットで再生されて楽しんでいたそうです。喋り方が、"いかにも昭和" から抜けられないのはご愛嬌ですが。
ユーカリが丘がまだないw
いつもご視聴いただきありがとうございます。後から開業したユーカリが丘や公津の杜が、瞬く間に発展しているのに大佐倉が、のどかなままなのは不思議なところです。
京成線に「国鉄千葉駅前」という駅がある違和感。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。そうですよね、京成の、特に千葉線は国鉄の総武線と並行して、いうなればライバル同士ですから、その名前を駅名に付してしまうとは、京成も太っ腹で・・国鉄の千葉駅は、昭和30年代後半に、ダイナミックな移転をしてまして、内房線の脇にへばりつくような線路配置になったのはそれ以後でした。京成電車の開業年からして、総武鉄道(総武本線の前身)よりずっと後でしたから、利用上の利便を図ったからとするのが妥当な由来ではないかと思います。
確かに沿線民ながら当時バスみたいだと子供ながらに感じた記憶がありますね。JR化の時に「京成千葉」へ改称し、それまでの京成千葉を「千葉中央」に併せて改称した時は、JRに負けるなよと感じたことも覚えています
幼い頃は知りませんでしたが、「国鉄千葉駅前」というのは国鉄に喧嘩を売ったという説があります。つまり、「国鉄はこの場所を千葉の代表駅と言っているんだよw」「本当の千葉駅は京成千葉を指すのが常識」という事なのです。この説を知ってから、ますます京成が好きになりました。
日本全国にオートレース場は、5ヶ所です。船橋オートは、廃止になりました。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。オートレースは片膝ついたコーナリングがかっこいいですね。
新木場?
「新千葉(Shin-Chiba)」の空耳だと思いますよ。
国鉄千葉駅前駅は「ジェイアール千葉駅前」に改称して欲しかったです。JRでなくカタカナで。
いつもご視聴いただきありがとうございます。おっしゃる通りですね。けれどもそうすると、上を走っているモノレールの千葉駅の影が薄くなりますね。
この自動放送、債務超過で廃止の危機に陥っていた70〜80年代の京成電鉄が、広告費を稼ぐために編み出した苦肉の策だったと聞いたことがありますが…これ、今やっても全然いけると思うんですけれど、どうでしょう?(でも今は英語放送もあるから、それだと時間が足りないか…)
いつもご視聴いただきありがとうございます。京成電車にはほんとうに危ない時期がありましたね。無配になったときはとてもショックでした。当時の日刊乗務にはこの自動放送について賛否両論が見られますが、こうした録音モノはクライアントが変化すると小回りが利かないのが難点で、長~い時間をかけた実験だったようにも思えます。何かのイベントのときなど、数本の列車に限定して「なつかしの自動放送復活列車」なんかやると楽しそうですね。
@@qsht 確か以前に、その懐かしの自動放送を聴きながら列車を貸し切るツアー列車があったそうです。あと、昨日の東成田駅ツアーに、3600リバイバルカラーがきたのですが、そこではフォトギャラリーが展示されてて、それと同時に昔のテープの自動放送が流れていました。もちろんBGM付きでした。
いつもご視聴いただきありがとうございます。今年のはじめあたりに、このチャンネルの裏チャンネルで、この作品を使っていいか, と京成さんの関係のco.jpからオファーがありまして、upしたものについては自由でございます, と返答した記録が残っています。それでそのイベントで使ったのかなぁ?と思っていますが、千葉の学校の学生さんの学園祭とかでも使わしてとか言ってきたり、制作公開した作品はわたくしたちとしてはどう使おうと基本自由です。律儀に報せていただいて、かえって恐縮しています。そうやって確かに聞いてくれている人もいて、お役に立てていてうれしく思います。
これよ、これ!
30数年前から聞きたかった音楽付きの車内放送(拍手~)
この時代にやっと巡り会えました!
up主さんありがとうございます☆
いつもご視聴いただきありがとうございます。お役に立てていただき、とてもうれしく思います。
他にもヴァージョン違いがありますが、今年の後半にloadする予定です。
オイラのガキの頃の遊び場かな⁉️立石から自転車で行けたからね‼️
ガキの頃からの遊び場だからね‼️立石から自転車で行けたからね‼️
感動で震えが止まりません。
幼少の頃、浅草の実家から祖母の家がある津田沼に行く時に何度も聞いて強烈な印象を得て、もはや幻、2度と聞く事は出来ないと諦めていた京成電車のBGM付き車内放送テープが聴けるとは・・。
貴重な音源をアップしていただき本当にありがとうございます。
バリエーションが多数なBGMも何曲かは聞き覚えがある曲です。◯◯駅はこの曲、というような固定されたものではなく、種別、系統によってランダムに使われていました(今でもハッキリ覚えていますが、検見川、お花茶屋で使われている曲は都営線から直通する急行の曳舟駅の案内に使われていました)。
『戸口付近の方は〜』とか次駅案内後に流れるCMなど、亡き母と乗った幼少期の京成電車の思い出がよみがえりました。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
お役に立っているようで、とても嬉しく思います。
京成のこの放送は他にもありますので、
いずれまたロードできる日が来ると思います。
路線バスの案内放送とは、これまた少々イメージが異なるのですが、
今となっては無くなってしまった駅名も含まれていますので、
当時を知る方には懐かしいものと思います。
今では楽曲の商用利用にパテントが厳しくなりましたから、
この当時のような曲をBGMにふんだんに使うというのは
もう無理かもしれません。
(12:41) 以降の、急行成田行きのアナウンスですが、昭和43年11月10日ダイヤ改正以降昭和49年12月15日までの急行 (A) の停車パターンです。
津田沼の次は八千代台、八千代台の次は佐倉で、佐倉から終点の成田までは、各駅に停車していました。これは、鉄道ピクトリアル 2007年 3月臨時増刊号 (特集 京成電鉄) に、昔の種別ごとの停車パターンが記載されていました。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
往時の情報を寄せていただける方に感謝申し上げます。
対校には1968年に到る
京成の日刊乗務(乗務員さんの系統)と日刊各駅停車(駅員さんの系統)にも
引照を求められますので、より正確な内容は、
沿線図書館などでさらにお調べいただくことは可能です。
昭和中~後期の自動車内放送、なんと画期的な試みだったのでしょう。音楽(ライブラリー・レーベル物が多い?)+女声アナウンスの組み合わせが素晴らしいですね。京成は昭和中期の特急車両にテレビを設置したり、オリエンタルランドの親会社であったりと、東急や阪急とも違う、画期的な一面があったと思います。
いつもご視聴いただきありがとうございます。
鉄道会社の多くは事業も利用客も楽しく沿線で暮らすために、お互いに応答しながら個性のある展開をひろげていきますが、
ことさら京成電鉄にあっては、おっしゃるように他社が真似したくなるプロジェクトが多くありますね。
浮き沈みを経て、怯まずに知恵を絞ってきた軌跡の数々は、私たちの目の前で本当にその通りになった起死回生の証左だとおもいます。
立石から船橋ヘルスセンターに自転車で遊びに行ったけどね‼️
@@ひこくに-h8o 様
すげえ!
通学時に聴いていた懐かしい車内放送がまさか聞けるとは❗感謝致します。
みどり台の前と菅野の前に流れるメロディーは、今でも脳裏に焼き付いています。オリジナル曲がずっと気になっていて、40年くらい経ちます❗半ドンの土曜日の夏、扇風機しかない鈍行の青電(大和田行)にも、沿線コマーシャルとともに流れていました🎵
勝田台ファミリーハイツの売り出し時から推測すると、1976年頃の録音と思われますね。沿線のお店の名前も懐かしいです。
いつもご視聴いただきましてありがとございます。
そうですね、まだ学校に半ドンがある時代の出来事ですね。
半ドンで扇風機で青電と三拍子そろうと
昭和の京成ド真ん中で、
おっしゃるように1970年代半ばの出来事です。
もう、決して戻ってこない時代を、
車内放送だけが伝えてくれています。
なつかしいです。車掌さんが8トラよりも大きいカセットを機械にいれて 駅に着くたびにボタンを押すと流れます。高砂の駅の階段下におじさんがいて 車掌さんに行き先のカセットを車掌さんにわたしてました。とっても懐かしい〜。
いつもご視聴いただきありがとうございます。たまたま、こうしたテープを生産する機械と再生機が手元にありましたので、再生を試みてみました。クラッチを変えると8トラへの録音再生もできる業務用の機械ですが、京成のリールが再生できる機械で、なぜか西日本鉄道の路線バスのテープも再生できてしまいます。アナログな時代の代物ですね。
荒川、葛飾、センター競馬場前、谷津遊園、国鉄千葉駅前
意外と改名した駅も多いですね
いつもご視聴いただきありがとうございます。
駅名の改名は、多くなるほど、昔が遠くなるようです。
懐かしいです。
荒川って今の八広、センター競馬場前は船橋競馬場、葛飾は西船ですね。
すべて34年前に変わっているね。
毎度ご視聴いただきありがとうございます。ロードしておきながら、ここ数年は眺めるだけで京成電車には乗っていません。
ずいぶん変わりましたね。この動画作品はタイミングを見てニコ動に移動する予定です。
うわぁ〜!!話には聞いた事がありますがこういう感じだったんですね😊貴重な音源有難うございます✨😆👍
いつもご視聴ありがとうございます。
昭和の終わりごろの、京成さんの壮大な実験だったように思います。
時代的に早すぎたんですよね。
BGMつきの案内放送(しかも沿線店舗の広告放送)ってすごく画期的で、阪急バスでも案内放送に一時期案内放送にBGMを流しながらやっていましたけど、(OsakMetroは現在も広告放送付き)それ以前からこういう放送しているのは画期的なやり方ですね。今のドライなROM放送と違ってテープの放送は凄いと思います。この時代の京成電車は見た目は阪神電車の赤胴車と同じ塗装、振り分け式前面二灯ライトの取り付け方は関西では阪神電車・京阪電車と同じで、車体寸法や軌間も標準軌という共通点があって親近感があります。「何某から何某まで停まりません」「何某から何某まで各駅に停まります」という案内は関西では定番です。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
車内放送の自動化は
戦後まもなく国鉄の急行で試みられたものの、
うまくいかず、
1970年代の初期に京成電車で実用化されたと言われていますが、
それも定かではありません。
車掌さんは楽になる反面、結局 合理化につながり、
ポジションを脅かすことになってしまいました。
在阪の民鉄は東日本のそれに比べてとても親切に案内が施されて、
自動放送にも繊細に受け継がれていますね。
阪神電車は山陽線や阪急線と競う地理にありますが、
京成電車は競争相手がJR総武線だけで、
あまり勝負にはなりません、
一時代前の鋼製車の顔つきは親戚のようで、
車体色もおっしゃるような赤胴車のコピーを思わせますから、
ここはひとつ、
スカイライナーみたいな近鉄乗り入れ特急専用車でもあれば
趣味的には楽しいかもしれませんね。
私の職場に、京成の菅野あたりに住んでいた方がいまして、
このテープのことを話したら、懐かしいと言っておりました。
当時の駅名のことも知ってましたし、青電や赤電の話もされてました。
毎度ご視聴いただきありがとうございます。
今の京成電車を見ていると、みんなライナー以外は銀色に色帯になってしまって、
年齢一回り以上してしまうと、青電とか赤電とか、何のことだかわからない方も増えてきているのではないかと思います。
青電が実際に現役だったころは、青電とは言いましたが、他方で赤電とはあまり言いませんでした。
懐かしいですね。
テープの車内放送は1969(昭和44)の頃から始まったと思います。
高校に通うようになり毎日通学で聞いていました。
後半の急行成田行き(不定期急行=の角急)のテープは大久保から乗車していたので初めて聴きました。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
京成電車のテープ車内放送の起源はここにきて諸説ありまして、
昭和30年代初頭1600系開運で佐倉~臼井間
オープンリール方式という証言(冨士録音の録音原稿が出た)も出てきて、
定説が変化してきましたが、通勤では都営5000系で実験という、
よくわからなくなってきました。
昭和50年代以後の収録は77種類あったそうです。
心地良い自動放送ですね。バスみたいに宣伝放送もあったんですね。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
実験的な試みだったと、
のちの京成ラインにも書いてあったことがありますが、
この会社はなんでもやるのが早かったんですね。
まだ世の中が必要としていないことでも始めて、
時代の趨勢が後から追いかけてきたりと。
それがよいこともあるのですが、往時は
自動放送にBGMが要るか要らないかで賛否が分かれていました。
京成の車内放送、生きているうちには聞けないと思っていたのですが、感涙です
海神駅を使っていて、高架前の船橋駅S字カープから国鉄との交差へ向かって登っていく時に流れる自動放送のメロディーが子供の頃の思い出でした。日暮里が同じだったのは知りませんでした
入場券が80円なので、スタンプラリーは昭和50年前半あたりでしょうか?私の記憶では昭和48年ごろは40円で、そこから50円、60円、80円、100円と初乗り運賃がどんどん上がっていったころでした。間違ってたらごめんなさい
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
今の時代、どこかでだれかしらが、
埋もれていたものを掘り起こして並べてくれるものです。
動画サイトも同様で、お暇なときに、あちこち巡っていれば
ほかにもきっと、懐かしい発見があるかもしれません。
切符の運賃の値段は
その時代を測ることのできる数少ない物差しの一つです。
よく覚えていてくださいました。
京成電車はいまも依然として船橋が巨大な乗換駅ですね。
メロディとセットで思い出を覚えていてくださる方が、
ことのほか多くいらっしゃいます。
昭和40年代生まれの母親が、京成ではその昔BGM付きの放送が流れてた、と聞いて調べてみたことがありました。しかし、時代が時代なので音源は中々見つからず、見つかっても音質が悪く(これも仕方ないですが)聞いてもよくわからないような状態でした。こんなに鮮明な音質で聞けたのは初めてです。母親にも聴かせたいと思います。
今では放送前後に音楽がかかる放送はよく聴きますが、BGMとして放送中も音楽が流れるものは後にも先にもこれ一つなのではという気がしています。画期的なのは確かですが、自動放送が当たり前になった現代ではちょっとうるさく聞こえてしまうかもしれませんね😅。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
昭和40年代にお生まれの方でしたら、ほぼこの車内放送をお聴きになっていたと思います。
折り込まれている沿線のお店の多くも、いまはほとんど閉店してしまっていますが、
京成電車が始めたこの試みは、後に多くの私鉄各社が取り入れていきました。
今のタイプの自動放送が良好するようになったのは、おそらく東急電鉄が9000系導入時に使用開始した自動放送が最初でしょう。それまでは、国鉄の東北新幹線などの優等種別ぐらいでしか、今のようなタイプの放送はなかったものと思われます。そういう意味ではパイオニアは東急電鉄ですね。
関東で〜電車と言って違和感ないのは京成だけですね。よくありましたね、テープ。素晴らしいです。この放送、ガキの頃うっすらと覚えているような、って感じです。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
京成電車は、"鉄道"の感触が湧かないんですね。
高架化が遅く、大抵は踏切の目線で通過を見上げていたようなイメージですので、
高速で飛ばすスカイライナーも、地平の踏切をガタガタやりながら見送ると、やっぱり、
京成"電鉄"ではなくて京成"電車"のほうがしっくりきますね。
車内テープも まるでバスみたいな広告混ぜてアナウンスしていますし、鉄道会社の体質なのでしょうか。
軌道法で産まれた会社ですからでしょう。そもそも京成電氣軌道でしたから。こないだ神戸遠征したとき、関西私鉄はみんな 〜電車で、なんか親しみが持てました。
因みにコンクリートの高架線を採用したのは実は関東私鉄で一番早いんですよね。すでに戦前に作ってます。上野本線は高架にしないと許可が下りなかったらしく、日暮里〜堀切菖蒲園の殆どを高架にしたそうです。
確かに、幼い頃に船橋に住んで京成を利用していましたが、両親もご近所も京成線を話題にする時は「京成電車」という表現を使っていて違和感ありませんでしたね。神戸に一時期赴任していた時、あちらはごく普通に「阪神電車」「阪急電車」と電車を付けて路線を表現していて、ああホントに京成は関西風味(京阪と重ねる方が多いようですが)なんだなと実感しました
谷津遊園や船橋ヘルスセンターには本当によく行きました。なつかしいな~
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
みなさんがおっしゃるのは、駅名に残る響き。
船橋や習志野にTDLの礎石になったそんな娯楽施設があったことすら、
知らない人が多くなる時代になりました。
テープ放送、懐かしすぎる!京成船橋~京成八幡間を通塾で利用していた小学生時代、いつも最後尾に乗って車掌室のテープデッキを見て「どこが始発?」をチェックしていた子供でした。「急行:津田沼→西馬込」みたいな出庫のレア運用まで用意されていて、驚いたこともありました。今なら人工音声で簡単にできることでも当時は声優さんが一つひとつ吹き込んで録音していたことを考えると手間がかかるものだったと思うんですが、こういうところに力を入れていたのが京成らしいなと思ったりしました。友人たちは「バスみたい」と少し小馬鹿にしていましたが…
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
京成電車に馴染みのない街から来ている人には、
この車内放送は路線バスの延長のように聞こえたのかもしれません。
けれども当時、通勤通学やお買い物でよく乗っていた人たちには
降りる駅の音楽が聞こえると「あぁ、次だ」と反射ができていたようです。
いまではTVのニュース番組でも、AI人工音声を使うようになりましたが、
全線に渡ってアナログで制作したのは、前衛的な試みだったと思います。
本線特急以前聴いたが、千葉線テープ放送!!
母と上野に行った時に
国鉄千葉駅前からまで博物館動物園まで通しで
普通車乗った懐かしい思い出よ😢
しかし 2:17 勝田台ファミリーハイツが
船橋ヘルスセンターの手によるものだったとは。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
千葉線の収録にも、急行・快速用というのがあります。
機会がありましたら、整えてロードいたします。
この放送が聞いたかったんです...!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
おばあちゃんが前に谷津遊園でジェットコースターに二十回ほど連続で乗っていたと聞いて、自動放送はないのかと気になっていたんです!本当にこれを聞けて嬉しいです
おばあちゃんに聞かせてみます
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
谷津遊園は、ディズニーランドの開業と引き換えに
なくなっていったような遊園地でしたが、
鉄道駅から小さい子ども連れでも歩いて向かえて、
広い駐車場もある、大きな施設でした。
隣には船橋ヘルスセンターもありましたね。
自動放送にある「センター競馬場駅(船橋競馬場)」の
"センター"は、そのことですね。
京成電鉄では3500形が昭和の時代にテープによる放送と令和のタブレット端末による放送を導入していたことになりますね。
いつもご視聴いただきありがとうございます。
確かにおっしゃる通りで、よくご研究されていて参考になります。
お訪ねいただいたことを感謝いたします。
ちなみにこの放送ですが、青砥駅高架駅化の際、用地確保の為に線路を仮線に切替した工事の当時のものと思われます。その当時は上野発の急行は津田沼~佐倉間は八千代台のみしか止まらない(この当時は上野発と都営浅草線直通の急行の停車駅が変えてあり、上野発の急行は今の快速の停車駅に津田沼~佐倉間の八千代台以外通過、千住大橋通過と町屋、堀切菖蒲園、市川真間、谷津遊園停車があり、都営直通は津田沼以東は各駅停車)もので、この時期に船橋駅のドラッグストアライオン(現在は閉業)がオープンしています。
毎度ご視聴いただきありがとうございます。 京成電車さんは線路を上へ上げる工事は、青砥をスタートして紆余曲折、いまだに続いていますね。
立石やお花茶屋や千住大橋あたりの踏切、高砂や津田沼の踏切あたりなどが高架になればパーフェクトなのかもしれません。
この音源テープのリーラーには「S55つだぬま3組」とマジックで書かれたシールが貼ってありますので、まぁ、そのあたりの時代でしょうか。
@@qsht
これは津田沼テープ置き場所有の3番の称号という意味で、おそらくテープ更新のために昭和55年に新調したという意味だと思います。実は、昔の8トラテープはテープ伸びや内部で絡まるなど、よく壊れたようで(同時期のバステープや初期の都電ワンマン車のテープが同じような破損をしていたようです)、このように更新されたものも多いと聞きます。ちなみにこのテープがBGM付きの最後期で、この後からは、BGM省略タイプになっています。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
これは、厳密に申しますと、
カラオケやカーステレオ用に市販されていた8トラではなく
コロクラッチが機械側に内装されているタイプの、
交通系機器専用カセットで、
どちらかというと4トラに分類されるものです。
関東ではほかに、日立電鉄だけが採用していました。
プロとエピが両端にあるので始めと終わりが双方向の磁気テープになっていて、
同じ回転一定方向で巻き戻し不要のタイプです。
たまたまわたしどもの手元にこの再生機械がありましたので、
咥えさせたところ、録れた次第です。西鉄バスはみんなこれでした。
ですから、8トラの市販汎用機には装填できません。
リーラーのステッカーについては、わたしどもの別の動画作品に、
現役の運転士さんたちからコメントが寄せられ、
京成電車ではむかしから、運転士さんと車掌さんを、1組、2組・・とグループ分けしている(た)そうで、
(たとえば高砂の1組とか、津田沼の3組、なんて感じで、)それでいくと、
このテープは、津田沼の3組の乗務員さんの帯出となるわけです。
ただ、置き場を組の番号で仕切るなら、たしかにおっしゃる通りですね。
なお、このテープの初期の収録は、当時、隣の東武館(東武鉄道本社)の防音室を使って収めたそうです。
いつも貴重な情報のご提供をいただき、ありがとうございます。
もうこの時期既に都電は27+32系統で荒川線になっていたんですね。
それでもそこここで駅名が旧名称。更にバス並みのCM入りの車内放送。今でもこれらりのお店はあるのかしら。
青電の塗色は以前は野暮ったくてきたなく見えたものですが、復刻版が走った時には妙にいい感じにとらえられました。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
都電は1972年の秋に現在の系統だけになりましたね。
もっと残しておいてもよかった路線もいくつかあり、今も惜しまれます。
車内放送の京成百貨店は今では茨城県の水戸だけですが、
当時上野の駅前にもありました。
そして青電は、詳しい方に言わせますと、
あの復刻の色とも微妙に異なるそうで、
色の記憶というのは意外とあてになりません、
この頃の急行は、今の特急に匹敵する速さの列車もあったのですな。
90年代になると、津田沼以遠は各駅に停まってたような…
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
今はどうかわかりませんが、二代目のスカイライナーが走ったころまで、
京成電車の走る速度というのは独特でして、
種別≠性能≠リミッター≠ダイヤ…と、
必ずしも想定通りではないことが多くありました。
とくに通勤特急が出たころには、有料特急最優先だったため、
しわ寄せはいつも各停にまわり、
遅れの回復に挑んで大変な速度を出したこともあったそうです。
@@qsht
各停に青電を割り当ててたのは、ほんまにあかんと思いました。
個人的には、全駅のホームをムリヤリでもいいから8両対応にすれば、運用は今以上に楽に組めそうな気がしました。
また、チャンネル登録しました。
叔母が志津にいたので、従姉に遊んでもらいたくてよく泊まりに行きました
千葉の家をベースに、谷津遊園、千葉線の海岸に連れて行ってもらいました
黒砂駅で降りて行きましたが、確か次の駅が千葉海岸、今の駅名では海はずいぶん遠くなったようですね。青電が懐かしいなぁ
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
昭和30年代半ばあたりまで、千葉線は車窓から東京湾が見えましたね。
京成稲毛駅の海側、浅間神社の先は、断崖で、
その下には幕張から続く松林の遠浅の浜辺がありました。
旅館や海の家も並び、走馬灯を眺めているような
京成電車で行く楽しい千葉の海の思い出ですね。
すてきな景色だったんですねぇ
千葉線は上記の1回のみで、しかも貝殻で足を切って帰路は伯母に背負われてたのでほとんど記憶がありません。残念
本線は、津田沼を出ると原っぱの中をひたすら走るというような景色でした
金町線を幼稚園のときに使ってたんですが、八幡駅の曲と金町駅の曲が一緒だったはず。懐かしすぎて涙が出そうです😢
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
この動画作品では金町線の再生は割愛してしまいましたが、仰る通りで、
八幡と金町(到着)はおんなじ曲で、この曲は、上野に京成百貨店があったころ、
店内放送でも使われていました。
西船は葛飾だったんですね!😮
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
この駅を「葛飾」と呼ぶほうが、
しっくりくる世代と、そうでない世代の境界が、
昭和40年代半ば生まれあたりで、分かれるようです。
たまんないなあ❗️中学の頃を思いだしますなぁ、、
昭和のおねーさんバリバリの声もないす😂
葛飾、船橋、東中山をよく乗り降りしてました。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
後半のウグイスは。京成バスの案内テープにも吹き込んでいた方です。
ありがとうございます。
あの時代の京成は音声テープ以外にも手書きの行先板、V 字鉄棒の駅ホームフェンス、旧駅名とうに
旧駅名等に国鉄に対するライバル意識や彼らの誇りを感じてたように思ってました。
八幡や船橋の昔の駅前は今みたいなJRの属性的な雰囲気はなく地元の商店と一体化した別の街みたいな感じでした。
歳をとったからとは思いますがどこに行っても同じ様な街並みを見るのは悲しい限りです。
地上時代の京成船橋駅周辺のカオスが心底懐かしい、、、
所々でテープが流れた時代の前後の学童向けミニアニメ番組やコマーシャル、啓発映像辺りで使われていた音楽が使われているようですね
干支が一回りもしない前の頃、知り合いの一部でそんな短いアニメが話題になった頃に聞いた音楽が所々紛れていて驚いております
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
まだ、パテントや著作権に
国民が疎い時代のBGM入れ放題で、
「これ聞いたことある!」旋律使い放題でも
鉄道会社がシレッと済ませていられた
最後のころの佳作営業用テープですね。
貴重なものをありがとうございます。
上野京成百貨店2周年ということは、昭和49年ですかね。
青砥駅のホームが別だから高砂で乗り換えろとか、町屋で都電の乗り換え案内をしないとか、久々に思い出しました。
お店のコマーシャル入りアナウンスも懐かしいです。平成になって大江戸線で始まった時は、京成のパクリじゃん。って思ったものです。笑
いつもご視聴いただきありがとうございます。
振り返ると、上野の京成百貨店が営業していた期間というのは、ことのほか短かったんですね。水戸の京成百貨店は今も元気に営業していますが。
むかしは、千葉・土浦・大森・八幡などにもありました。いい時代でした。
素晴らしい…ありがとうございます
今でも手に入るならスタンプを集めたいです
京成大久保〜大和田、今はないちびっこランドがある宗吾参道のスタンプが欲しいです
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
ちびっ子ランドは車庫の山側にあった大きなプールでした。
ここに収録されたスタンプは、ごくまれにですが、
京成電鉄さんのイベントなどのとき、押されたものがコンプリートされて
頒布(有料ですが)されているようです(台紙を伴うかは不明)。
不確かな情報なので、日頃から京成電車のイベント情報を注意して見ていると
いいことがあるかもしれませんよ。
懐かしい
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
昔は開運号でした❗️荷と言う行商専門の列車も有りました❗️
いつもご視聴いただきありがとうございます。
開運号は護摩電と並んで京成電車の看板列車でしたね。
前面2枚窓の開運号の一部は 退役後にアルミ車体になってしばらく青電に挟まれて行商さんの乗る電車で活躍していました。
正面に「荷」というサイドボードを挿していましたが、
「あれは、荷物を運んでいるのではなく、荷物を担いだ人を専用に乗せているんですよ」と
津田沼の乗務員の方に教わったことがあります。
「荷」の画像もあったのですが、旅客向けの放送でしたので、この作品では割愛しました。
そうなんですよ‼️行商のオバサン達が実家の立石で昼食を家のおばあちゃんと漬かってましたけどね‼️御茶とお新香で🍙おむすびを食べたていたな‼️たまにオイラもご相伴に入ったけどね‼️
これは懐かしいですね。初めて京成に乗ったとき自動放送に仰天したものです。この放送はいつ頃のものでしょうか?貴重な資料ありがとうございます
いつもご視聴いただきありがとうございます。
この音源を入手したのが昭和の終わりごろでしたが、いつも国鉄総武線を使っている時代にたまたま京成電車に乗って、当時は車内放送といえば男声が当たり前でしたから、とても新鮮に感じたものです。
手元の資料(日刊乗務)に見える限りでは1977年ごろにはすでに用いられていたようです。
昔は荷物と言う一両編成の電車が有りました❗️行商のオバサン専用の電車でした❗️成田山の初詣に行ったけどね‼️だから開運号と言ってました❗️成田空港線が出来たのでスカイライナーになったけどね‼️オイラの遠足は成田山でした❗️谷津遊園地も遠足でした❗️
たしか、テープ放送は初代AE形が落成した頃(昭和48年)に一般車にも導入されたと思いました(現存する古いテープで上野京成百貨店の開店2周年という宣伝があり、京成百貨店は昭和45年開業なので、少なくとも昭和47〜48年頃の3500形新製車では導入されていた)。元々は1600形開運号がテープ放送の起源で、当時、東急でも最新型の初代5000系に導入する計画でしたが、機器の調整で実現されず、京成が自動放送第一号となったという経緯があります。
この放送は、上野京成百貨店が2周年ということから1974年の放送であると推測できます。
成田空港への乗換案内がないのはそのためです。
いつもご視聴いただきありがとうございます。
この音源は上り京成津田沼到着までと発車以後で、
異なる音源を連結しています。
千葉から津田沼までは押し込みリーラーに年月刻印があるのですが、
津田沼以東のリールテープには変遷途中でリーラーを変えたと思われ、
何も書かれていません。
したがいまして、今回のような情報をお寄せいただいたことは、研究されている方には貴重な証左になると思います。
情報のご提供に感謝申し上げます。
国鉄千葉駅前なんて、懐かしいな・・・
いつもご視聴いただきありがとうございます。
あたまに"国鉄"って響きが付くと、往時を知っている世代には、発車ベルの音とか改札の鋏のリズムとか甦ってきますね。
@@qsht ですね。
あと、昔の「京成千葉駅」が現在の「千葉中央駅」になっていたことは、最初知りませんでした。
昨年35年振りに自動放送がクリアな音声で復活した。
いつもご視聴いただきありがとうございます。自動放送の進む鉄道会社がある一方で、
東海道新幹線では車掌さんが英語肉声で放送されてますね。
懐かしいのではあるけれど、労組が車掌の車内放送の手間を無くせみたいなことでテープ放送という苦肉の策だったような。
ただ都営車や京急車では車掌が放送してましたが。
いつもご視聴いただきありがとうございます。車掌さんの手間を無くしていくと、ワンマンバスやローカル私鉄のようなドライバーだけになりますけど、都市部の大手私鉄だと、それこそ列車防護のときなどは車掌さんいてくれると頼もしいですね。この京成電車のテープも、駅間距離が短い区間では、押し忘れをすると、駅に到着しているのに「つぎわ~」とか流れてたりして使い物にならなくなったそうです。
この時代の京成車のマイクは壁に固定されていたので、都営線内では車掌さんが放送しにくそうでした。前後衝動で歯をぶつけないようにするのが大変だったとか。
JR千葉駅が総武本線と外房線との分時点に移設してきたのはのは画期的だと思いますよ
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
「千葉駅の移転は、京成電車と国鉄の"計画的偶然"が作用して、
場所が決まって、いまのようになった,」 と、当時の千葉日報に記事があります。
おっしゃるように、画期的だなことだったんですね。
それと、余計なことですが、
外房線(房総東線)の起点は蘇我駅で終点が安房鴨川駅、
内房線(房総西線)の起点が千葉駅で終点が安房鴨川駅になっていますから、
位置は「総武本線と内房線との分岐点」となりますね。
このことは、わたくしどもも、最近知りました。
この動画を見ての感想は、この放送の仕様で、現在のタブレット放送を作り直してほしいと強く感じたことです。
たしか、現在の京成の放送はメトロのお姉さんこと久野知美さんですから、この仕様のようなアナウンスで、BGMは往時の雰囲気の出るもので、もう一度作っていただきたい。久野さんなら、何でも企画チャレンジする京成グループなら、現在の放送をアレンジできるはず。
いつもご視聴いただきありがとうございます。おっしゃる通りですね。
昔のクロスシート車の試験運用ように、試しに数本 "レトロ放送列車" みたいな企画をやってくれると楽しく乗れますね。
(クロスシート車運用当時のチラシはニコ動にupした京成CMソングのカラオケ部分に表裏両面入れてあります。)
久野さんじゃなくて森谷さんです
このBGM付きメロディ、よくよく考えたら系列のリゾートラインで引き継がれてるなw
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
よく気が付かれましたね。
京阪電車でも、同じような試みをしていた時期がありまして、そちらは、
「京阪ひらかたパーク」と八幡山ケーブルでテンポを変えて引き継がれておりました。
どこも考えることは同じのようです。
船橋ヘルスセンターはバンドででてたよ‼️大滝滑りののすぐ側でね🎵
いつもご視聴いただきありがとうございます
船橋ヘルスセンターの大滝すべりは、遠くからでも眺められました。よい時代でした。
急行すら勝田台通過だったのに驚き
この当時は東葉高速線がなかったもんね
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
東葉線が開業接続する直前まで、勝田台駅前で、どなたかヤギが飼われていました。
昔の自動放送ですね。今は、タブレット端末放送です。
いつもご視聴いただきありがとうございます。
ほかにもいろいろ線区別にあるのですが、埋もれさせておくのも勿体ない音源なのでロードしてみました。
のんびりした時代でした。
自動放送が復活して良かったです
いつもご視聴いただきありがとうございます。
どの鉄道会社も、放送の自動化はバスは先行していたのですから、もっと早くできただろうと思います。京成電車は意外とこうした面では前衛的な鉄道会社ですね。
急行のアナウンスは、サザエさんでお馴染みの加藤みどりさんですかね?
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。ほかのサイトでもみなさんそうおっしゃるのですが、確かに言われてみればそのようなに聞こえるます。
加藤みどりさんはスーパーの案内放送吹き込んだこともある方なので、年齢的にも合致するのですが、テープのリーラーには何にもその辺が書かれていないのです。
京急バスのテープは、加藤さんご自身がTBSラジオで仰っていたので、そうなのでしょうが、京成のこのテープの後年吹き込みなので、情報ありましたらお寄せください。
10:19 ハブられる都電
いつもご視聴いただきありがとうございます。 気づく方は気づくのですが、この車内放送当時の時代というのは、どうも軌道を走る路面電車が蔑まれていたようで、同じようなことが新今宮の阪堺電軌に対してもあったようです。京成電車も、もとは京成電気軌道だったんですけどね。
@@qsht その割にスタンプには堂々と出ているので社内でも扱いが分かれてたんでしょうね
毎度ご視聴いただきありがとうございます。 おっしゃるような原因もあるかもしれません。
この作品をloadするのに先立って、古い京成の社員の方と考証していたのですが、
①録音した後で抜け落ちていることに気が付いた
②路線バスくらいにしか認識していなかった
③王子・大塚の国鉄線と早稲田の営団東西線でも今のように都電まで乗換案内を及ばせていなかった時代なので、それに倣った の
いずれかでしょう, という見解です。③を根拠とするのが濃厚です。
スタンプチケットは、観光目的の企画ですから、都電 = 観光 で考えると、含めるのもわからなくありませんが、
一方で、荒川線のほうでは京成電車乗り換えを放送しており、当時のテープも現存しています。 推理すると楽しめます。
東急もアオガエルで自動放送やっていたような.......。どちらが早いのでしょうか?
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
京成電車のトラクト「京成ライン」には、
このテープ放送について「大手私鉄では初の試みとなる・・」と宣伝されていますが、
相模鉄道や東京モノレールでも自動放送の実験運用していた時期がありまして、
いまとなっては、どちらとも言えませんが、東急はだんまりで、
これについてはあまり資料がないようです。
5000系ゃ5200系の先頭車が中間に入ってしまうと行き来できなくなるので、
もっと早い時期から試みていたかもしれません。
これやろうと思えば音声切り抜いて今でも使えんじゃね
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
何年か前のイベントのときに、何人かのお客さんの一部が、
タブレットで再生されて楽しんでいたそうです。
喋り方が、"いかにも昭和" から抜けられないのはご愛嬌ですが。
ユーカリが丘がまだないw
いつもご視聴いただきありがとうございます。後から開業したユーカリが丘や公津の杜が、瞬く間に発展しているのに
大佐倉が、のどかなままなのは不思議なところです。
京成線に「国鉄千葉駅前」という駅がある違和感。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
そうですよね、京成の、特に千葉線は国鉄の総武線と並行して、いうなればライバル同士ですから、
その名前を駅名に付してしまうとは、京成も太っ腹で・・
国鉄の千葉駅は、昭和30年代後半に、ダイナミックな移転をしてまして、
内房線の脇にへばりつくような線路配置になったのはそれ以後でした。
京成電車の開業年からして、総武鉄道(総武本線の前身)よりずっと後でしたから、
利用上の利便を図ったからとするのが妥当な由来ではないかと思います。
確かに沿線民ながら当時バスみたいだと子供ながらに感じた記憶がありますね。JR化の時に「京成千葉」へ改称し、それまでの京成千葉を「千葉中央」に併せて改称した時は、JRに負けるなよと感じたことも覚えています
幼い頃は知りませんでしたが、「国鉄千葉駅前」というのは国鉄に喧嘩を売ったという説があります。
つまり、「国鉄はこの場所を千葉の代表駅と言っているんだよw」「本当の千葉駅は京成千葉を指すのが常識」という事なのです。
この説を知ってから、ますます京成が好きになりました。
日本全国にオートレース場は、5ヶ所です。
船橋オートは、廃止になりました。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
オートレースは片膝ついたコーナリングがかっこいいですね。
新木場?
「新千葉(Shin-Chiba)」の空耳だと思いますよ。
国鉄千葉駅前駅は「ジェイアール千葉駅前」に改称して欲しかったです。JRでなくカタカナで。
いつもご視聴いただきありがとうございます。おっしゃる通りですね。
けれどもそうすると、上を走っているモノレールの千葉駅の影が薄くなりますね。
この自動放送、債務超過で廃止の危機に陥っていた70〜80年代の京成電鉄が、
広告費を稼ぐために編み出した苦肉の策だったと聞いたことがありますが…
これ、今やっても全然いけると思うんですけれど、どうでしょう?
(でも今は英語放送もあるから、それだと時間が足りないか…)
いつもご視聴いただきありがとうございます。
京成電車にはほんとうに危ない時期がありましたね。
無配になったときはとてもショックでした。
当時の日刊乗務にはこの自動放送について賛否両論が見られますが、
こうした録音モノはクライアントが変化すると小回りが利かないのが難点で、
長~い時間をかけた実験だったようにも思えます。
何かのイベントのときなど、数本の列車に限定して「なつかしの自動放送復活列車」なんかやると楽しそうですね。
@@qsht 確か以前に、その懐かしの自動放送を聴きながら列車を貸し切るツアー列車があったそうです。
あと、昨日の東成田駅ツアーに、3600リバイバルカラーがきたのですが、そこではフォトギャラリーが展示されてて、それと同時に昔のテープの自動放送が流れていました。
もちろんBGM付きでした。
いつもご視聴いただきありがとうございます。
今年のはじめあたりに、このチャンネルの裏チャンネルで、
この作品を使っていいか, と京成さんの関係のco.jpからオファーがありまして、
upしたものについては自由でございます, と返答した記録が残っています。
それでそのイベントで使ったのかなぁ?と思っていますが、
千葉の学校の学生さんの学園祭とかでも使わしてとか言ってきたり、
制作公開した作品はわたくしたちとしてはどう使おうと基本自由です。
律儀に報せていただいて、かえって恐縮しています。
そうやって確かに聞いてくれている人もいて、お役に立てていてうれしく思います。